院長ストーリー
私がいまこうして、この仕事ができているのは、私を健康な体で生んでくれ育ててくれた両親のおかげです。本当に感謝します。
そして、私をいつも支えてくれているたくさんの大切な方達に感謝します。
私は愛知県蒲郡市で生を受けました。幼少期、当時の方達に聞くと私はとてもかわいかったそうです。いまはその面影もなく類人猿系のゴツイ人間になってしまいましたが…
小学校に入ってからはバスケ部に所属し、下手ながらも厳しい練習に耐えながら卒業まで継続できたのはいい思い出です。そして、ケガをした時などに近くの接骨院に行っていたのが、初めての接骨院との接点となります。
中学校時代は軟式テニス部に、高校時代は弓道部に所属していました。弓道部ではいまでもたまに集まる部活仲間や先輩・後輩と出会え、学生時代をともに過ごせたことが本当に素晴らしい思い出です。いまでも話していると当時の感覚のままなのは不思議です。
高校卒業後は新潟の大学に進学しました。そこで弟の留学先のアメリカに行ったことで海外旅行にどっぷりはまってしまい、大学卒業直後にボランティアで1ヶ月過ごしたギリシアでは7ヶ国の人と共同生活を送り、毎日毎晩喧嘩したり、議論したり、踊ったりして一生涯忘れられない濃厚な時間を過ごしました。
ボランティアから帰国後、私のいまを決心させるきっかけとなった西尾市の福祉施設に就職しました。7年半ほど勤めた中で、身体に負担をかける仕事のせいか、何度もぎっくり腰に見舞われました。一旦ぎっくり腰になると、それこそ立っているのもままならない状態になるのですが、そのたびに接骨院で施術を受けると、不思議なことにすぐに痛みが緩和するのです。どのような施術をされていたのか、そのときはよく分かりませんでした。そこで、もともと人間の身体の神秘的な部分に関心を持っていましたし、身体と脳の関係にも興味があったので、「いっそのこと自分も接骨院で働くことを目指せばいいのでは?」と思い付き、一念発起。柔道整復師を目指し、専門学校へ通いはじめました。
専門学校時代は、年齢の離れた同級生達とともに楽しくも刺激的な時間を過ごしました。医学の勉強は初めてだったので大変でしたが、国家試験も無事に一発合格。
在学中に実習でお世話になった岡崎市の「かとう整形外科」に就職しました。院長から厳しくも温かいご指導を受け、先輩・先生にリハビリやギプス、テーピングなどを熱心に教えていただき、そしてスタッフの方と患者様に5年半育てていただきました。実際に手術を見たりレントゲンを撮ったりして、人間の身体の奥深い部分まで学ぶことができました。この頃に学んだことは、その後の私の施術者としてのキャリアに大きく影響しています。また、同期で戦友とも呼べるKM先生に出会いました。KM先生がいなかったら、厳しい修行生活を全うできなかったと思います。毎週木曜日の業務後の勉強会は、忘れられない思い出です。本当に感謝しています。
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。